ニューヨーク在住の画家・中里斉先生が、ご逝去されました。梯子から落ちられたそうです。
残念な事でした。
7月18日(日)の2時ごろ、お亡くなりになったとのことです。
脚立から落ちて、頭部を強く打ち急死とのことです。
3日前、中里さん、ご自宅のスタジオで高いところから(多分キャンパスでも動かそ
うとされていたのか)落ち、頭を強く打たれ、そのまま意識不明で病院に搬送され、
安否が気遣われていたのですが、今朝、校友会のメールに、昨夜お亡くなりになった
と連絡が入りました。
昨日午 後11時半に永眠なされました。
事故から3日間、意識を戻される事もなく逝ってしま
われました。
葬儀は日本で今月末におこなわれ、メモリアルは、9
月以降にニューヨークでおこなわれるそうすが、日程
は未定です。
1970年前後にミニマルペインティングで日本デビューして、
鮮烈な印象の画家でありました。
細かい略歴等々は、報道を見て、このブログでも再録します。
中里斉
1936(昭和11)東京に生まれる。
1960(昭和35)年、多摩美術大学絵画部油彩科卒業、大沢昌助等に学ぶ。
北海タイムスに美術記者として入る。
1962(昭和37)年-1966(昭和41)年、ウィスコンシン大学で絵画と版画を、ペンシルヴェニア大学美術大学院でイタリアの作家ピエロ・ドラツィオ、二―ル・ウエリバーに師事し、絵画を学ぶ。
1966~67年 ロックフェラー3世基金奨学金を受けニューヨークで制作。
1967(昭和42)年までニューヨークで制作。翌年、ヨーロッパ、中近東を旅行して帰国。
多摩美術大学専任講師就任、斎藤義重と親交を得る。
1971(昭和47)年 欧州旅行後渡米ニューヨークに居住、ペンシルヴァニア大学美術大学で教鞭を取る。エリクソン・ギャラリー(フィラデルフィア)、ギャラリー・クラヌキ(大阪)、東京画廊(東京)等個展多数。
主としてアクリル絵具を使って制作を続けている。60年代には、色のついた線的パターンの配列の可能性を追求、グリッドのシステムに即した基本型の向きと彩色が生み出す変化を丹念に探っていった《ペンシルヴァニア・シリーズ》が代表的である。
70年代には、日本の伝統的な大工道具である墨壷を運用して、墨を浸した糸を用いてキャンヴァス上に直線を引く仕事をする。
この墨壷の線をつかった絵画が、鮮烈なデビューという記憶を私に植え付けています。
この墨壷の線を使う技法は、この後、狗巻賢二がマネをして、さらに堀浩哉が真似るという連鎖を生んだという記憶を、私の頭脳に残しています。
私にとっては多摩美術大学での恩師で、
1981年のアメリカの留学でもたいへんご厄介になっていて、
重要な先生でありました。
ご冥福をお祈り致します。
合掌
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彦坂様
すでにご存じかとも思いますが、
NYの中里さんが17日午後11時31分に逝去されました。
梯子から落ちて頭部を強打されたのが原因となったそうです。
現在、町田国際版画美術館で個展開催中(8月8日まで)ということもあり、
日本でも偲ぶ会が開催されると思います。
取り急ぎご連絡申し上げます。
I.N.
I.N.様
On 2010/07/21, at 14:07, ito norio wrote:
すでにご存じかとも思いますが、
NYの中里さんが17日午後11時31分に逝去されました。
梯子から落ちて頭部を強打されたのが原因となったそうです。
私のブログでもすでに書いています。
現在、町田国際版画美術館で個展開催中(8月8日まで)ということもあり、
それが原因で、失意でのご逝去だと思います。
ですので、私のブログでは町田の件は書きません。
彦坂尚嘉
今、町田の版画美術館で企画展が開催されているようなので行ってみます。
by フルミチカズヤ (2010-07-21 05:20)
フルミチカズヤ 様
中里斉先生は、ペインティングを主に活動して期ていたので、ペインティングの回顧展を開いて欲しかったと思っています。謹んでご冥福をお祈り致します。
by ヒコ (2010-10-21 02:10)