日 本ラカン協会第10回大会 [日記]
昨日は日 本ラカン協会第10回大会で、幹事ということで早朝8時45分に専修大学までいって、夕方6時30分までいて、帰ってきました。
日本ラカン協会第10回大会プログラム
日時:2010年12月5日(日) 10:00~17:00
場所:専 修大学神田校舎7号館731教室(3F)
(〒101-8425 東京都千代田区神田神保 町3-8)
交通: 営団地下鉄・神保町駅 徒歩3分
会場の専修大学の7号館には、私の150号の油彩画が1階ですが2点かかっていることもあって、ご縁があるので、行くことには喜びがあります。
昨日も、休憩時間にしげしげと自分の作品『アトラクター・ペインティング』を見て芸術分析をしていました。YouTube画像では、21次元の作品と言っていますが、最近の彦坂の『アートの格付け』というのは、ついに150次元まで見つけているのです。その新しい『アートの格付け』で分析すると、専修大学にかかっている彦坂尚嘉の『アトラクター・ペインティング』というのは21次元から100次元まである作品でした。51次元から100次元というのは、人間の暗黒領域なので、そういう暗さが作品の中にあります。
東京都現代美術館に所蔵されているウッドペインティング『若葉』という作品は第1次元から6次元まである作品でこのウッドペインティング『若葉』の制作時に清らかで美しいのですが、それに満足しつつ、飽き足らない気持ちを強く持ったことを覚えています。その後の政策の方向が、暗黒面に向かっていったのですが、それが41次元の発見に至り着いて、この一連のブログになっているのです。
1. 研究発表
10:00-10:45 萩原 優騎(日本学術振興会特別研究員PD)
「生命倫理をめぐる諸問題への精神分析的アプローチの可能性
――脳死・臓器移植問題を中心として――」
司会: 福田 大輔(青山学院大学)
10:00-10:45 萩原 優騎(日本学術振興会特別研究員PD)
「生命倫理をめぐる諸問題への精神分析的アプローチの可能性
――脳死・臓器移植問題を中心として――」
司会: 福田 大輔(青山学院大学)
福田 大輔さんは、たいへん理性的な発表で優れていました。
概要:
生命倫理学では、「パターナリズムか らインフォームド・コンセントへ」という主張が展開され、医師と患者の関係性の見直しか図られてきた。
しかし、患者に選択肢の多様性が認められ、様々な医 療行為へのアクセス権が生じたということを、無条件に肯定してよいのだろうか。
そもそも、患者の「自己決定」とは何かということについて、詳細に検討する 必要がある。
発表の後の質疑応答は、今までに無く活発で7人ほどが発言して、私も参加しました。
18世紀のジョン・スチュアート・ミルにはじまる「自己決定権」というものを、今日の大量の自殺者と孤独死の状態の中で、素朴に肯定できるのかという疑問を述べました。ミルというのはリバタリアニズム(絶対自由主義)の祖というべき政治哲学者ですが、性転換手術のでの男性性器の切断などもそうですが、さらに「自己決定権」の議論の延長の中で、自殺が倫理的に容認できるのかという問題です。実は私自身はリバタリアンですが、しかしこの自殺の自由を倫理的にようにんするということには、少なくとも躊躇して議論を積み重ねる必要があります。
11:00-11:45 向井 雅明(精神分析相談室)
「精神分析とニューロサイエンス ダマシオを巡って」
司会: 磯村 大(金杉クリニック)
司会: 磯村 大(金杉クリニック)
アントニオ・ダマシオというのは、アメリカの脳神経学者・心理学者です。1944年、ポルトガルのリスボン生まれ。その著書『生存する脳―心と脳と身体の神秘』は、世界17カ国でベストセラーになっています。
1848年、米北東部の鉄道施設現場で事故が起き、鉄棒が1人の前頭部を貫通した。それを境にその人物の性格と行動は一変した。
この患者の症例をもとに、人間の脳が感情機能によって決断などの理性作用を作動させていて、デカルトのよう心身2元論があやまりであるという主張を展開しています。
興味深いのは、決断の遅い人とか、決断のできない人が私の身の回りにもいて、こういう決断のできなさが、実は理性脳の問題ではなくて感情脳の作用で決断の作用がされているという指摘です。なるほどそうなのか、つまり決断のできない人というのは、実は理性脳だけで考えているから、決断ができないのですね、納得。
さて、時間が来たので、シンポジウムについても書きたいのですが、以下は日本ラカン協会のホームページの記事をコピーだけしておきます。
は面白かったです。
3. 総会 13:00~14:00
① 議長選出
② 会務報告… 論集刊行に関する報告など
③ 決算(2009/2010年度)審議
④ 予算(2010/2011年度)審議
⑤ 次年度活動計画について
4. 協会創立十周年記念シンポジウム 14:00~17:00
〈 ラカン思想とその現代的展開 〉
司会 : 川崎 惣一 (北海道教育大学釧路校)
提題者 : 原 和之 (東京大学)
「トポスとロゴス―ラカンにおける言語観の転回」
提題者 : 立木 康介 (京都大学)
「00年代のラカン派」
提題者 : 布施 哲 (名古屋大学)
「現代政治理論におけるラカン
~E・ラクラウの民主主義理論を中心に~」
提題者 : 中野 昌宏 (青山学院大学)
「言語の経済/経済の言語」
コメンテーター : 若森 栄樹(獨協大学)
伊吹 克己(専修大学)
提題者 : 原 和之 (東京大学)
「トポスとロゴス―ラカンにおける言語観の転回」
提題者 : 立木 康介 (京都大学)
「00年代のラカン派」
提題者 : 布施 哲 (名古屋大学)
「現代政治理論におけるラカン
~E・ラクラウの民主主義理論を中心に~」
提題者 : 中野 昌宏 (青山学院大学)
「言語の経済/経済の言語」
コメンテーター : 若森 栄樹(獨協大学)
伊吹 克己(専修大学)
各提題30分、議論・質疑応答60分
トポスとロゴス―ラカンにおける言語 観の転回
原 和之 (東京大学)
ラカンが既存の諸学の議論によってさまざまな補助線を引 き ながら成し遂げようとしたのは、主体と独立して存在する操作の対象ないし「道具」としての言語から、主体がその中で、或いはそれとの関わりで自らを位置づ けることが問題になるような「場所(トポス)」としての言語(ロゴス)へという言語観の転回であったと考えることができる。本提題ではこうした観点を提示 した上で、それが理論と実践において持ちうる帰結を考察する。00年代のラカン派
立木 康介(京都大学)
本シンポジウムの趣旨には沿わないかも知れないが、ラカ ン の「思想」ではなく、ラカン派の「精神分析」について報告したい。ラカンを「思想」として受容するのではなく、あくまで「実践」として経験する人々がいな ければ、日本におけるラカン研究にはいかなる未来もない。フランスのラカン派精神分析のアクチュアリティに、主に 二つの観点からアプローチする。1/内部抗争(学派分裂)から外部との闘争へ。2/「応用精神分析」の前景化。これらの現象は不可分に絡み合っており、そ の同時性は必然的である。そこから浮かび上がるのは、今日の私たちがいかなるAと向き合い、いかなるS1に従属させられているかということにほかならな い。
現代政治理論におけるラカン~E・ラクラウの民主主義理 論 を中心に~
布施 哲 (名古屋大学)
ラカンの精神分析理論ならびに概念装置が、患者個人に対 す る治療実践のみならず、人間社会のイデオロギー分析に対しても有効な補助線たり得ることは、すでに多くが認めるところであるだろう。しかし、それが現代政 治理論、とりわけ政治変動のダイナミズムを分析する際に中心的な役割を果たしている例はといえば、おそらくエルネスト・ラクラウのラディカルデモクラシー 論をおいて他にはないだろう。敵対性(antagonism)を軸にした彼の民主主義理論を概観しつつ、ラカン理論の射程を再考したい。言語の経済/経済の言語
中野 昌宏 (青山学院大学)
「無意識には否定がない」というフロイトの見解と,「無 意 識はひとつの言語のように/として構造化されている」というラカンの教説とを,われわれはどう整合的に理解することができるのだろうか。この問題のヒント になるのは,人間がある種の捩れたロジックに基づいていることを示す「行動経済学」の知見かもしれない。本報告では,その分野の研究成果や考え方を紹介 し,無意識の中で駆動している論理のあり方について,報告者の仮説を提示してみたい。5. 懇親会(会費:5,000円) 18:00~
於 中華料理 東方園
東京都千代田区神田神保町2-4-7 九段富士ビル B1F
TEL : 03-5226-5108
2010-12-06 10:07
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ラカンは、自分について書いている。フロイトは、他者について書いている。ラカンは、膨大な隠喩を使っている。フロイトは、隠喩は使わない。(一か所だけ例外はあるが)(快楽原則を超えてだけ)
by 田高孝 (2014-09-06 23:16)