6次元について/毎オクNo.44[締め切り延長9/22(水) 21時終了] [毎日オークション]
毎オクNo.42が未完成で途中のままになってしまっていたので、ダウンさせて、42は彦坂尚嘉作品「手描きの花」のオークションNo.にしてしまったので、仕切り直しをします。
9月12日の吉祥寺Art Center Ongoingで行われた大木裕之さんの映画上映とシンポジウムは6時間という長丁場で、私は作品も展示して、3回にわたっておしゃべりをして、なかなかの大仕事でありました。
しかし写真で見ると、うれしそうな顔をしていますね。うれしそうな顔をしている理由は、展示した作品4点の内容にあります。これは以前にオークションにアップした『超ひも理論』が《超次元》から《第100次元》の作品であるのに対して、ここにあるのは《第6次元 自然領域》と、《第8次元 信仰領域》に落とした作品だからです。日本の社会でより一般性のある作品を展示できて、なんというか、うれしいのですね。
しかしこの毎オクNo.44[締め切り延長9/22(水) 21時終了]においては、話を分かりやすくするために、まず《第6次元 自然領域》の作品4点だけをアップして、議論したいと思います。
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すでに述べたように、上の4枚の作品は、《超一流》の「超ひも理論」という作品を作ったあとに、《第6次元 自然領域》に落とした「ひも(string,cheine,弦)」という作品です。
議論したいのは《第6次元 自然領域》の作品の問題です。
日本の美術界では、ほとんどの作品がこの2つの次元です。そして観客もこうした次元でないと分からない人が8割を占めています。《第6次元》の人々は多数派なのです。ですから無視するわけには行かないのです。
《第6次元 自然領域》に生きていることは、人間が自然の中の生物として生まれて来ている以上当然なのです。その意味で《第6次元 自然領域》の美術作品、つまり自然芸術というのは一般性があって、これが【原始美術/フォークロア/大衆芸術】なのです。
つまり芸術には2つあって、もう一つが人間が文明を築いて、古代帝国という人工環境を築く中で生まれた人工芸術です。
それが《第一次元 社会的理性領域》の芸術なのです。
つまり【文明美術/貴族芸術/前衛芸術】です。
《自然領域》=自然芸術
原始美術/フォークロア/大衆芸術
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《社会的理性領域》=人工芸術
文明美術/貴族芸術/前衛芸術
《第6次元 自然領域》の文明の中の自然人は動物です。東 浩紀の本に『動物化するポストモダン』というのがありますが、今日の日本では、人間の姿をした動物が大量発生しているのです。つまり《第6次元 自然領域》の自然人は動物としての存在ですから、彼らにも、そして私にも、この《第6次元 自然領域》の作品が重要なのです。なぜなら動物=自然人に理解できる芸術の幅は狭いからです。
しかし《第6次元 自然領域》の自然人の人々を動物=畜生として見る事は正しいのでしょうか。むしろ《第6次元 自然領域》の自然人こそが人間であるのです。そして《第1次元 社会的理性領域》の貴族芸術の人工性こそが異常であって、やたらに哲学的で難しく、学問的でつまらない理解不可能なものなのです。
押井守というアニメーションの作家がいます。押井守はアニメという大衆芸術のジャンルにありながら、しかし作る作品は自然芸術ではなくて、やたらに人口性の高い人工芸術なのです。そのために《気晴らしアート》の大衆芸術でありながら、大衆的には評判の悪い作家なのです。
たとえば糸崎公朗さんは、押井守の代表作である『アバロン』を見て、次のようにツイッターに書いています。
問題がむずかしいのは、今日の日本の芸術には、大衆芸術=自然芸術であるはずなのに、前衛芸術=貴族の芸術のものが押井守のアニメのようにある事です。
それは芸術としての現代アートや現代美術にもあります。
人工芸術=現代アート/現代美術というものが、前衛芸術であるかのような顔をしながら、実は【原始美術/フォークロア/大衆芸術】であるということです。
その代表は岡本太郎の作品です。岡本太郎の作品は【原始美術/フォークロア/大衆芸術】なのです。
今日の作家で言えば、草間弥生です。草間弥生の作品も【原始美術/フォークロア/大衆芸術】なのです。
草間弥生
もっと若い作家で言えば、たとえば森村泰昌も、【原始美術/フォークロア/大衆芸術】なのです。
これら岡本太郎、草間弥生、森村泰昌らの作品は、《第6次元 自然領域》なのです。つまり今日の日本の現代美術というのは《第6次元 自然領域》が主流なのです。
重要な事は、日本人のほとんどが敗戦後には《第6次元 自然領域》に生きる文明の中の自然人であることです。この人たちは、《第6次元 自然領域》の作品や《第8次元 迷信領域》の作品を好む傾向が強いのです。それは敗戦後の日本が、身の丈主義の凡庸な生活を愛する大衆社会になったことを意味しています。
ですからこの多数者の観客やコレクターに向けて作品をつくる必要を、彦坂尚嘉は認めるのです。つまり【文明美術/貴族芸術/前衛芸術】という異常美術、キチガイアートをつくるとともに、これを【原始美術/フォークロア/大衆芸術】に変換する事で、常識的で凡庸普遍性をもった、大衆という多数者に見える作品を発信していこうというのです。
というわけで《第6次元 自然領域》を作ったので、岡本太郎の《第6次元》作品と比較してみましょう。
岡本太郎と彦坂尚嘉の《第6次元》の「ひも」
ついでですから、草間弥生とも比較してみましょう。
草間弥生と彦坂尚嘉の「ひも」
森村泰昌と彦坂尚嘉の「ひも」
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《第6次元 自然領域》の作品というのは、直接性があって、教養がなくても理解できるものです。
ところが大木裕之さんは、この《第6次元 自然領域》の作品についてすら、「これはななんなのか?」という問いを発し続けたのです。
大木裕之さんに答えるという難問、この続きは、次回ということで、《第6次元 自然領域》の秘密の深さを自分の問題として考えておいて下さい。
2010-09-18 01:29
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