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彦坂尚嘉個展「HISTORY LESSONS/皇居美術館」(校正1) [アート論]

暑いですね。
クラーも無いアトリエで、ここ3日間、9月3日からの、マキイマサルファインアーツという浅草橋の画廊で開催する彦坂尚嘉の個展のプレスリリースを作っていました。
マキイマサルファインアーツプレスリリース100完成A.jpg

マキイマサルファインアーツプレスリリース100完成B.jpg


PDFをつくるという、こんな情宣活動は、画廊に任せておけば良いと思われるかもしれません。が、私はいくつもの画廊と関わって来ましたが、
 村松画廊、
 田村画廊、
 ギャラリー手、
 ギャラリームカイ、
 東京画廊、
 ギャラリー上田、
 ギャラリーHIRAWATA、  
 ギャラリーKURANUKI
   ギャラリー山口、
   タマダプロジェクトコーポレーション、
   アートフロンフロントギャラリー、
   ギャラリーARTE、
   深川ラボ、
   マキイマサルファインアーツ等々、
みな、それぞれすぐれた画廊でしたが、しかし一人のアーティストをトータルにマネージメントすることは、彼らは考えていませんでした。

 彦坂尚嘉のように、美術家としての制作活動が、『毎日オークション/1円オークション』を主催し、毎日小品をつくることから、芸術憲法の制定を目指す所までの全領域を踏破しようと考えるオールラウンドタイプになると、マネージメントをできる画廊は存在しなくなります。

 情報化社会のアーティストというのは、オークションシステムを立ち上げる事から、憲法改正までも提案し、芸術憲法を起草するところまではやりうると、彦坂尚嘉は考えます。

 一人のアーティストがオークションを主催し、芸術憲法を提案して、どこが悪いと私は考えますが、しかしアートオークションや、憲法改正や皇居美術館の提案というのは、全員といって良いほどの多くの日本人の心の中のタブーに触れているが故に、多くの人は考えないようにしているし、聞いても嫌がり無視をしようとします。

タブーだからこそ、アーティストが果敢にアートとして挑みえる領域なのです。

タブーとされる事こそ、アーティストはやる必要があるのです。

アーティストというのは、自己憐憫で自閉して、ヘンリー・ダーガーのように制作するアウトサイダー・アーティストに理想があるのではないのです。ヘンリー・ダーガーの作品は、実物を見ると分かりますが、混乱だけがあって、芸術といえるものではありません。もちろん異論のある人も多いと思いますが、彦坂尚嘉自身は本物を見て失望したのです。

アーティストというのは、ヘンリー・ダーガーのように制作するアウトサイダー・アーティストとは正反対のものなのです。理想のアーティストというのはレオナルド・ダ・ヴィンチであって、彼は万能人でありました。今日のアーティストとは、人間社会の政治や権力、そして経済のタブーに果敢に挑戦し、それを変革していく存在であるべきではないでしょうか。
 
 政治評論家の西部邁氏にご出席をいただいてのシンポジウムを開催することまでの企画と交渉というのは、彦坂尚嘉がやらなければできるものではなかったのです。これをできる既成画廊はありませんでした。
 
 つまり今回の展覧会の企画とPDFの制作まで含めて、彦坂尚嘉の作品と言えるものなのです。



さて、A4のPDFの全体像をお見せします。
この状態で、配布されます。
有効性があるとは思っていません。


歴史的に、戦後最大の改憲勢力は自由民主党だったのであって、
自由民主党が衰弱した今日、改憲勢力は事実上無くなっていると言えると思ういます。そうであるのなら、改憲の主張を情報アート作品として主張しえると考えます。

たった一人の改憲運動なんか無視されるのは分かっていますが、だからこそアートなのです。


マキイマサルファインアーツ.jpg


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